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#西村真悟「尖閣の石」

西村真悟氏ののブログに掲載された「尖閣の石」。



【元記事】

西村真悟が尖閣より資料として持ち帰った「尖閣の石」

珊瑚石のようで、海岸にごろごろころがっているそうだ
2個持ち帰ったが、1個は誰かが借りていって所在不明

... それにしても、「石原さんの尖閣購入発言」以来、
「尖閣にはどうやって行けば良いの?」という問い合わせが多くなった。

あまりにしつこく聞いてくる方には「私しゃJTBじゃないので。ドラエモンのどこでもドアで行けば良い」と答える。






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#トピック 知られぎる 沖縄切手発行裏ばなし

 


トピック 知られぎる  沖縄切手発行裏ばなし

“尖閣諸島切手”発行顛末記

−略−

 ◇幻の鳥・アホウドリを描く切手

 沖縄返還の約1ヵ月前、美しい沖縄の海を描いた「海洋シリーズ」(上)が、立て続けに発行されました。沖縄在住で、尖問諸島の歴史を研究調査している国吉真古(くによしまさふる)さんは、第3集の「海鳥」を見て、あることに気づきます。どこの島とも記述はないものの、その断崖の様子から、直感的に尖問諸島とカツオドリを描いたのではないだろうか…と考えたのです。
 ところが、切手の原画を担当した安次富長昭(あしとみちょうしょう)画伯に確認したところ、「いゃ、あれはアホウドリですよ」という驚くべき返答がありました。実は、この切手発行の前年、絶滅が危惧され、日本では鳥島(伊豆諸島)のみに生息するアホウドリが、尖開諸島で確認されていたのです。沖縄の海にアホウドリならば、この島は尖閣諸島以外にはありえません。


[写真]
切手原画作者 安次富長昭(あしとみちょうしょう)


[写真]
アホウドリの剥製制作者  友利哲夫(ともりてつお)




琉球郵政庁郵券課長(当時) 浜元暁男(はまもとあきお)




  ◇剥製と写裏をモデルに作画

 琉球郵政庁は安次富氏へ、描く鳥は「アホウドリなり」と注文をつけます。しかし、珍鳥であるため、画伯も実物を見たことがありません。そこで、渡嘉敷真球(とかしきしんきゅう)前郵政庁長自らが、アトリエにアホウドリの剥製(左ページ)を届けにきました。
 このアホウドリは、今も沖縄の本部(もとぶ)町立博物館に保存されています。剥製を作ったのは、ヤンバルクイナの発見者で、鳥剥製作りの名人だった友利哲夫館長(元名護高校教諭)。これはワタリアホウドリといい、本来は日本にはいない種類。たまたま遠洋漁船の船員が捕獲したものですが、切手の参考モデルとなりました。
 ただ、センカク諸島で“生息”しているのはクロアシアホウドリ、翼を休めていたのはアホウドリです。そこで、琉大調査団から写真を借りたり詳しい説明を受けて、青い海と険阻な断崖、そして、空を飛翔し岩場で戯れるアホウドリたちのイメージが完成したのだそうです。

 

  ◇琉球郵政人の心意気

 さらに国吉さんは、当時の琉球郵政庁郵券課長・浜元暁男氏を訪ねます。浜元さんは、切手発行に伴う日米両政府のクレーム処理も担当していました。
 琉球郵政最後の切手「切手趣味週問(嘉瓶・ゆしびん)」に、“Fina Issue”と世界に例のない付記をしたり、人気の切手発行数を増やすよう建言したりと、情熱家で剛胆だった浜元氏は、横やりさえ受けなければ大丈夫だと、首脳幹部のみの機密プロジェクトで発行を計画。第3集「海鳥」だけでなく、第1集「夕陽と島」でも別の目論見を抱いていました。
 原画写真を撮るならば、岩骨怪巌の魚釣島の雄姿が望ましい。海上に突き出た島影だけでは、どこの島かは判らない…と、原画技官を2週間の出張に出したのです。しかし、天候不順で尖閣諸島までたどり着かず、やむなく第1集は「慶良問の海と島」が題材となりました。
 沖縄返還を前に、日米両政府とも緊張状態だった当時。特に米政府は、当初の返還協定で尖閣諸島を含めることを渋ったこともあり、状況は非常に緊迫したものでした。
 そこから、国吉さんは“当時の郵政人の尖閣にかける想い”を感じています。一般的な『海と海鳥と島』として巧みに企画を進め、琉球郵政庁が権限を持っている間に尖閣諸島を現した切手を発行することは、彼らの心意気であり悲願だったのではないだろうか…と。 (文責・編集部)


[協力:尖閣諸島文献資料編纂会/國吉真古/参考資料:「尖闇研究」】]

切手を楽しむ雑誌 「郵趣」☆2011年9月号6・7頁




ロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ引用終わりロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ


こういう話を読むとやはりじーんと来る。
見えないところで多くの人が頑張ってくれてきた。
そのことによって私たちが支えられ今の生活を出来ている。
それが日本という形を成す根元のものである。

国家とは権力機関のことではない
それは政府のことである。
我が国で言う国家とは家が付くことでも明らかなように大きな家のこと。
一つ一つの家族を越えた大きな家のこと。

国民と国民が対立する西洋式の国家ではなく、一人一人が家族の一員であることにプライドをもって全力で自分の与えられた仕事を達成する。そうであればこそ憎しみではなく愛を闘争ではなく創造を人生の基本となす事ができる。











そう実感する。
この詳細は<尖閣諸島文献資料編纂会>のホームページに詳しい。


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#クロアシアホウドリ高濃度水銀汚染

http://2009.itainews.com/archives/cat37/31095

クロアシアホウドリ高濃度水銀汚染・広範な汚染実態浮き彫り=鳥島[030610]
投稿日:2011年2月3日 作成者: p
 

クロアシアホウドリ高濃度水銀汚染・広範な汚染実態浮き彫り=鳥島[030610]

伊豆諸島・鳥島のクロアシアホウドリ、高濃度水銀汚染伊豆諸島・鳥島に生息するクロアシアホウドリが高濃度の水銀に汚染されていることが、愛媛大学沿岸環境科学研究センターと山階鳥類研究所(千葉県我孫子市)の共同研究で明らかになった。
メカジキなどの水銀汚染はすでに確認されており、厚生労働省が3日、妊婦に対し食べ過ぎを警告したばかり。
魚類のほか鳥類まで含む外洋の生物が広範に水銀汚染にさらされている実態が、改めて明らかになった。
(中略)その結果、他の鳥類を使った実験ではひなの行動異常や孵化(ふか)率の減少などが起きた1グラム当たり0・5マイクロ・グラムを超える水銀が、すべての卵から検出された。
野生生物の卵からこれほど高濃度の水銀が検出されるのは、極めて珍しいという。
エサとなる小魚などが水銀に汚染され、これを食べるクロアシアホウドリの体内で水銀が濃縮したらしい。
水銀の7割は人為的な汚染に由来するとされる。
(後略)—-※引用元配信記事:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20030610i306.htm※社のYomiuriOn-Line(http://www.yomiuri.co.jp/)2003/06/10配信

 

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#江戸時代の古文書に書かれたアホウドリ
アニマ昭和53年10月号54頁

江戸時代の古文書に書かれたアホウドリ


 



文字が判読しづらいが、分かる範囲だと、

航海中に大鳥が見えた、
船員達はこの鳥のことを■■
また阿房鳥と呼んで言っておる

という意味らしい。
■■はルビもふってあるが惜しいことに読み取れない。
これだけの文字がのこっているのに残念なことである。












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#石垣市の「尖閣諸島開拓の歴史と自然展」について−「尖閣研究」より
236ページ


 2.石垣市の「尖閣諸島開拓の歴史と自然展」について

 石垣市は、2011年1月14日〜16日、「尖閣諸島開拓の日を定める条例」の制定を記念して、「尖閣諸島開拓の歴史と自然展」を開催した。準備が短期かつ初の試みにも関わらず、展示内容、構成ともに充実したものであった。展示期間3日間で、見学者が800名を超え、大好評だったという。同展は、これからの尖閣諸島に関する展示を行う際の大いに参考になろう。
 このようなことから「尖閣諸島開拓の歴史と自然展一展示概要報告」(石垣市2011.1)をもとに、展示の概要を紹介する。


(1)展示構成
 展示は1〜9のテーマで構成された。
 下記に各テーマの趣旨と展示内容を示す。

 石垣市民会館展示ホール会場展示光景奥のテーブルには現物が展示



1.尖閣諸島に関する古い地図や地勢に関する論文。
 展示の導入部分にあたり、明治時代に描かれた地図を紹介、比較的古い時期に書かれた尖閣諸島各島の地勢に関する文献、黒君恒の「尖閣群島」論文などを展示。

2.尖閣諸島関連年表
尖閣諸島関連のできごとを記した年表と、それに関連した資料や古賀辰四郎の顔写真や石垣市が魚釣島に建立した領土標柱、琉球政府が建立した警告板とその作業風景などを展示。



3.日本領土編入の流れ
 明治18(1885)年の「沖縄県卜清国福州トノ間二散在スル無人島へ国標建設ノ件」など、関連する史料、及び明治28(1895)年1月14日に沖縄県の管轄として、尖閣諸島へ標杭を打つことを閣議決定し、1月21日に沖縄県に指令した資料、明治29(1896)年3月5日に勅令第133号で沖縄県への正式編入が公示されたなど、日本国の領土へ編入されたことを示す資料を展示。



4.古賀辰四郎による開拓
 明治29年9月に古賀辰四郎へ尖閣諸島開拓の許可が下りる。のち古賀氏は藍綬褒章を受けた。

 古賀氏開拓時代の写真(「藍綬褒章下賜ノ件」添付写真)を展示



 開拓の様子が記されている「古賀辰四郎へ藍綬褒章下賜ノ件」と黒岩恒の「尖閣列島談」など当時の資料を展示。
 また中華民国9(大正9)年、駐長崎領事から贈られた「感謝状」が2通、石垣市立博物館に保管されている。当時の石垣村長豊川善佐と石垣村吏員玉代勢孫伴宛である。写真とレプリカを展示。


 右の掛け軸は豊川氏宛「感謝状」レプリカ 左は玉代勢氏宛感謝状写真




5.尖閣諸島に関する研究
1939年の正木住民の尖閣諸島調査論文と掲載の写真、写真アルバムを、また、これまで複数の調査団が訪れていながら、調査研究成果は、一般に目にすることは少ないとして、「琉球大学尖閣列島学術調査報告書1971」他6冊を現物を展示。
 1971年の琉球大学調査団がアホウドリを発見、このアホウドリと尖閣諸島をモチーフにして琉球郵政庁が「海洋シリーズ第3集切手」を発行した。この切手とその解説シートを展示。


6.戦後の尖閣諸島
1968年にエカフェの調査で尖閣諸島一帯に豊富な石油資源が埋蔵されている可能性が報告されると、領土問題が噴出、中国の人民日報』に「琉球群島に尖閣諸島が包括される」と記された記事や琉球政府の「領有権」声明などを紹介。尖閣諸島研究家で郷土史家・故牧野清コレクション17冊を現物展示。


7.尖閣諸島の自然
 ここでは琉球大学資料館・風樹館、所蔵の液浸標本や山階鳥類研究所、鹿児島県立大島高等学校所蔵のアホウドリ剥製やデコイなど、を展示。尖閣諸島文献資料編纂会、宮良祐次氏の協力による魚釣島の貴重な植物の現物展示のほか、新納義馬民らが撮影した尖閣諸島に棲息する固有の動植物、自然景観に関する写真パネル90点近くを展示、さらに尖閣諸島にしか棲息しない貴重な動物や、植物の写真をはじめ、各島々の地形、植生等を把握するためのパネル展示。このうち、センカクツツジ、センカクカンアオイ、イリオモテランは、現物と開花時の写真を展示、また、各島々の大凡の撮影ポイントを地形図上で示し、島の様子をわかりやすく紹介。


尖閣諸島の自然コーナーでは、動植物をパネル写真で紹介


 

画像左: 中央はイリオモテラン右はセンカクツツジ
     後方右はセンカクカンアオイ


画像右: 後方左はアホウドリの剥製右は同デコイ
     前方2つはシュウダの液浸標本



8.失われつつある自然
 尖閣諸島に残された固有の動植物、そして豊かな自然。しかし、これらが近年、危機にさらされている。魚釣島には1978年につがいのヤギが持ち込まれ、以来、繁殖。ヤギによる食害は大きく、年代ごとに展示写真を比べると、緑が極端に減り、石積みが崩壊していくようすがわかる。研究者からは、固有種の絶滅が心配され、危機的状兄にある魚釣島を紹介。


ロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ

(上記の引用は原文そのままではありません。ブログに引用する上で読みやすいように数カ所変更しています。)


「尖閣研究」の注文先は以下の通りです。
是非この書に込められた熱意をくみ取って頂き、買い求められて、尖閣諸島問題を考える一助になされて下さい。


「尖閣研究」

値段 1200円

発行:尖閣諸島文献資料編纂会

住所:住所沖縄県那覇市大道40番地
FAX :098−884−1958


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#良書紹介


この度、尖閣諸島文献資料編纂会により「尖閣研究」が出されました。
「尖閣研究」は2007年、2010年に続いての第3号となります。

今回は大型本から普通サイズとなり、
中身も誰でも読んで興味を持ってもらえる内容で、
是非とも皆さんに読んで頂きたい一冊です。




◎表紙の写真の説明文

表紙写真
1979年 沖縄開発庁による尖閣諸島総合調査
旧古賀村跡に設営された魚釣島ベースキャンプ
手前に見えるのは明治期に開鑿された掘割(船着場)
              (新納義馬 1979.5)



◎目次は以下の通りです。


尖閣諸島周辺略図

犠蓮\躋媾島の自然と生物相
 1.自然と生物相の概要…………………………1
   各論 ゝ釣島 ∨名島 F郛島
   げ尾島 ダ嵌島
   尖閣諸島の生物相の特徴

 2.魚釣島のヤギ食害と植生被害……………30
   2−1.問題点と課題
 3.南北小島のアホウドリ……………………44
   3−1.問題点と課題

蕎蓮\躋媾島の学術調査の歴史と成果

 1.学術調査の概要……………………………53
   学術調査の概略史
   主な学術調査の概要

 2.問題点と課題………………………………67
   学術調査の再開、実施について
   調査研究成果の社会への還元について
   採集標本・写真画像資料の収集・整理・保管に
   ついて

珪蓮\鐐梓沖縄の新聞に見る尖閣諸島および
   古賀辰四郎について………………………77

絃蓮\躋媾島海域における漁業の概要
 1.戦後の概要
   終戦〜復帰………………………………131
   復帰後〜現在……………………………151

2.問題点と課題………………………………182
  尖閣漁業の基本資料の整備について
  尖閣漁業の振興について

江蓮\躋媾島に関わる情報資源の活用
 1.先島3市町への聞き取り調査
   郷土教育への活用について……………195
   観光振興への活用について……………206
   産業(漁業)振興について……………216

詐蓮〇楮樹立へ向けて 一試案提言と事例紹介他−
 1.総合利用推進のためのシステム試案…227
 2.石垣市の「尖閣諸島開拓の歴史と自然展」に
   ついて……………………………………236
 3.尖閣諸島写真画像資料の収集・整理・刊行事業
   について…………………………………244
 4.図解:戦後における尖閣諸島南小島周辺での
   鰹節製造…………………………………253
5.新技術による尖閣諸島における避難港の建設
   ……………………………………………269




◎はしがき

 研究目的と研究概要

 沖縄県と尖閣諸島との関わりは120年余の歴史を有し、古賀氏による開拓、沖縄漁民による漁場開発利用、学術調査団による島の自然・生物相の解明、等々なされ、大きな成果が積み上げられている。尖閣諸島に関わる斯かる歴史的体験、知見、研究成果は、貴重な情報資源である。
 本研究の目的は、これら情報資源を、本県の地域振興、将来施策に活用すると共に、尖閣諸島の総合利用開発を推進する方策樹立に資することにある。
 該目的に基づき、犠呂蓮崟躋媾島の自然と生物相」の特性を述べ、魚釣島のヤギ食害とアホウドリの2点について、現状の問題点と解決への課題を提起した。
 蕎呂蓮◆崟躋媾島の学術調査の歴史と成果」について1979年以降、総合学術調査が中断したままであり、斯かる学術調査再開、さらに過去の学術調査の研究成果の社会への還元、等々の問題点と課題を言及した。
 珪呂蓮∪躋媾島の開拓の歴史に関わる「戦前期沖縄の新聞に見る尖閣諸島および古賀辰四郎」から、戦前沖縄における尖閣諸島及び同島開拓者古賀氏の具体像を浮き彫りにし、本県との歴史的関わりの一端を概観した。
 絃呂蓮◆崟躋媾島海域における漁業の概要」について、1終戦、2復帰後〜現在の尖閣漁業のあらましを述べ、現在衰頽している間題点と課題を提起した。
 機銑絃呂棒垢蕕譴討い詁睛討狼重な情報資源である。
 江呂蓮◆崟躋媾島に問わる情報資源の活用」として先島3市町関係者に対し、ゞ軌蕁↓観光、5業(産業)振興への活用について聞き取り調査し、調査結果をとりまとめた。
 尖閣諸島に関してはこれまで国が主体だった。今後は、真に本県の振興に資するには、地元沖縄県が率先して、尖閣諸島について総合利用の基本計画を策定し、主導・推進していく必要がある。斯かる観点から、詐呂痢峪楮樹立に向けて─試案提言と事例紹介他」では、「1.総合利用開発推進のためのシステム試案、2.石垣市の『尖閣諸島開拓の歴史と自然展』、3.尖閣諸島写真画像資料の収集・整理・刊行事業について、4.図解:戦前における尖閣諸島南小島周辺での鰹節製造、5.新技術による尖閣諸島における避難港の建設」を紹介した。




_____________________________________________

閣研究」の注文先

 

  「尖閣研究」の注文先は以下の通りです。
是非この書に込められた熱意をくみ取って頂き、
買い求められて、尖閣諸島問題を考える一助になされて下さい。





「尖閣研究」

値段 1200円

発行:尖閣諸島文献資料編纂会

住所:住所沖縄県那覇市大道40番地

FAX :098−884−1958
 


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#浮萍(ふれん)
地學雑誌・第12輯、第140巻−478頁

黒岩恒・「尖閣列島探檢記事」  



○日本水路誌第二巻に曰く
   ホアピンス島(釣魚嶼)
西表島の北方凡そ八十八里にあり○この島の南側最高處(一、一八一咫)より西北に向へる方は、削斷せし如き觀を呈す○此島に淡水の絶ゆることなきは諸天然池に淡水魚の育成せるを以て知るべし而して此池は皆海と連絡し、水面には浮萍一面に茂生す○島の北面は北緯二五度四七分七秒、東經一二三度三〇分三〇秒に位す○此島は六七名の人を支ふるにも不十分にして人居の跡なし、
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#明治33年5月、尖閣諸島久場島に見られた動物

次は宮島幹之助氏の「沖縄県下無人島探検談」(地学雑誌第12輯142巻)の記事である(589-590頁)。


 動物の著しき者は鳥類特に海禽なり、勿論他に動物なきにあらず、昆蟲(蟻、蝶、甲蟲、蠅等)蝸牛、百足、蜥蜴は可なり多きも鳥類を除くの外他に重要なる動物を見ず、

此島は黒潮の中にあるを以て海産の魚族叉少なからず、鰹等は容易に捕ひ得可く、予等は在島中日々鮮魚を食することを得たり、その他此邊の海岸には夜光貝を多く産す、是は鈕を製し又は貝細工用に供せらるヽものにして、有用の介類なり、從來琉球附近より南洋諸島等に産する者にして、其中琉球邊の沿岸にては瀕りに採集せしより、今は大に減じたるものなり、海中には珊瑚族生育し殆んど全島の周圍は珊瑚を以て取り巻かれ居ると稱しても可なり、此種類は重に珊瑚礁を形成する種類にして、その他赤色の管珊瑚の如き美麗のもの多し

次に鳥類の中陸上の鳥は鳩「ヨシキリ」豚木鳥鷹等の二三種類に過ぎずして他は皆海鳥なり、予が黄尾島溜留中にて得たる 「チウシャクシギ」及び「オホヨシゴイ」は、自ら叢中にて拾ひしものなり、この島に住める陸鳥は遥かなる海上を飛びて渡來するを以て大に疲れ、翼を働かし急に飛ぶこと能はざる故、容易に之を手にて拾ふことを得しならん、餘ほど以前に縣廳より役人の出張したるときに、鶏を放置きたることあり、其今は繁殖して野生の狀態になり居りて可なり多し、 同じく他より輸入せられたる動物にして有害にて因るものはなり、明治廿八年頃沖繩より漁船より此處に來りし事あり、其船頭は猫好きにて船中に雌雄の猫を飼ひ置きけるが、船の嶋に着するや否や猫は何れにか逃失す、 所在分明せずして其儘に爲し置きたるなり、その猫今は山中に住みて繋殖し、數十匹となりて夜毎出てヽ宿れる禽類を襲ふ、依て懸賞して猫を撲滅せしめ、以ってその危害を防ぐことに力めしむることになせり、然れども猫は野生の有樣なれぱ容易に捕獲することを得ず、鳥類繁殖の上には少なからず影響を興ふる者と云ふ可し、

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#尖閣諸島に鶏と猫がいた!


尖閣諸島に鶏と猫がいた!



「沖縄の秘境を探る」 高良鉄男著



  黄尾島に移入した動物の記録がある。移入した動物のうち、ニワトリは明治十八年(一八八五) に、県庁の役人が渡島した際に放飼したものである。明治三十三年(一九〇〇) 五月に黄尾島を探検した宮嶋幹之助氏の報告(『地学雑誌』十二輯)によると、ニワトリは繁殖して野生状態になっていたという。

 アホウドリの繁殖と密接な関係のある移入動物にネコがいる。記録によると明治二十八年ころ沖縄から来た漁船があって、その船頭はネコが好きでオス・メス一対のネコを飼っていた。船が黄尾島に着いた際、ネコは船内からどこかへ逃げて所在不明となった。そのままに放置されたネコは山中で繁殖し、夜毎出て寝ている海鳥を襲ったという。

 宮嶋氏の計算によると五年後の明治三十三年には、およそ三千匹のネコが生息していたことになる。それでは今日、その残存ネコはどうなっているであろうか。私は移入されたニワトリとネコの末えいを見出すべく双眼鏡で絶えず島内や海岸をのぞいたが、それらしいのは見受けられない。池原寅雄氏の報告(一九七一、「尖閣列島学術報告」)によると、林の中で一頭見つけたというから、生存していることは確かである。この種のネコが古い時代の純系の在来ネコであるならば、沖縄民族の移動や交易状況などを究明する貴重な資料となる。



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#アカジン・マチ・アマクサ
がんずううやき
http://www.cosmos.ne.jp/~miyako-m/htm/ganzu/060726.htm

漁業一筋60年

上里 精さん(85歳)
1921(大正10)年3月10日生まれ

 「宮古ソネから尖閣諸島、北から南まで一人で漁に出掛け、いつも大漁していたよ」と懐かしそうに昔を振り返る上里さん。

 大阪で働いていた二十代の時に召集令状を受け出征したが、二カ月後に終戦を迎え池間島に帰郷。それから六十年、一本釣り漁師として漁業一筋で生きてきた。「カツオ船じゃない一本釣りだったから、アカジンやマチやアマクサと、魚はいつも大漁だったよ」と誇らしげな笑みを浮かべる。部屋の壁に掲げられた数々の賞状と、ゴツゴツとした両の手が、その功績を物語っている。

 昨年まで、妻の初枝さん(78)の名前からとった漁船「初幸丸」に乗り漁業に従事していたが、長い漁師生活にピリオドを打ち、現在は夫婦二人、ゆったりとした時間を過ごす。

 「今は初ひ孫、佑くんの成長が何よりの楽しみ」と目尻が下がる。いつも柔らかなまなざしで、子や孫たちの健康を願っている。
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